久留米大学公開講座

久留米大学公開講座の講師として登壇してきました。

講題は「八女和紙と山鹿傘」だったのですが
八女和紙については和紙職人さんの方が詳しいので
八女和紙については少々ふれる程度で
和傘についての話を中心に講話をしました。

公開講座の事前告知も考えましたが
講師として謝金をいただきますので
いただく謝金の価値よりも価値のある講座をするのが大切だと思ったので
当日の講座が始まる直前まで
資料や講演の準備をしましたので告知はしませんでした。

謝金の額面は講座が終わって自宅に帰るまでわかりませんでしたが
自分の持っている全てモノを使った講座ができたので納得しています。

講座の告知や宣伝については大学の方にお任せしていました。

たくさんの人の前で1人で90分という決まった時間で和傘の話をする
という講座に対する反応があるのか不安だったのですが
公開講座というアクションに対するリアクションが
教授や参加者の皆様より

「今まで聞いた講演の中で一番面白かった」
「今度は国際交流科の学生全員に聞かせたい」

という声を聞くことができ
質疑応答ではたくさんの質問や意見を聞くことができたという
リアクションがあったのでよかったです。

講座が終わってからも
写真の撮影や和傘についての質問や意見などたくさん聞くことができ
講座が終わってからの懇親会でも
興味深いお話しをお聞きすることができて
無事に講座が終わってホッとしています。

心地よい緊張と良い刺激があった久留米大学公開講座でした。

2017年9月22日

お問い合わせはこちらからどうぞ。

A photograph is taken by iPhone.

材料の事と和傘の世界をちょっとだけ。

DSC01670

和傘製作のときに使うタピオカ糊です。

タピオカ粉と水を鍋で煮てよく混ぜると出来上がり。
水飴くらいの硬さだったり重湯くらいの硬さでつかったりします。
タピオカ糊は使う箇所によって柿渋や水で希釈します。

いい雰囲気の写真ですがコンパクトデジタルカメラで撮影して
Apple社から配信された OS X  Yosemite 10.10.3 に付属されていた
写真というアプリケーションで写真を加工しました。

次は和傘の世界の事。

最近はあれもこれもそれもと注文や依頼があり

頭の中の整理をするのが大変です。

「番傘 蛇の目傘 日傘 舞踊傘 大傘」

と和傘は多種多様で様々な種類や大きさがあります。
写真はサイトで紹介していますのでよかったら見てね。

それぞれの和傘にはそれぞれの材料や技術と少しの知識が必要です。
一番効率よく量産できるのは
たくさんの人で少しの種類の傘を製作すると技術と生産量があがります。

ひと昔前の和傘の世界の話ですね。

ボクは決まった種類の傘を製作しているというより
さまざまな種類のいろんな寸法の傘を製作していて
材料確保がとても厳しく量産できていない状態です。

決まった種類の傘を量産すると他の種類の傘の製作が困難な状態になり
さまざまな種類の傘を製作すると和傘は量産できないのです。

現在、和傘の世界は材料屋さんを含めた和傘製作に関わる人が過去に比べて圧倒的に少ないのです。

和傘の世界が20年後には存在するのでしょうか?
一人ですべての種類の傘を量産できる人は日本にいるのでしょうか?

誰か知っている人がいたら教えてください。
時間の経過と共に先が細くなっていく和傘の世界。

ボクはまだ世の中に求められているので和傘を製作しています。

A photograph is taken by Camera Sony DSC-RX100

時代。

ウチにOさん(仮名)が来てくれました。

和傘の材料であるハジキを分けて欲しいとの事でした。

Oさんはお祭りの為の和傘を製作していて、
5年前くらい?からのつきあいになります。

久しぶりに会うOさんは相変わらずでした。
Oさんは気が荒い感じがするのですが、
とても良識のある優しい方です。
真っすぐな目でいつも自分の製作した傘の話をしてくれます。

Oさんは和傘の評論家でもマニアでも愛好家でもありません。
ボクの知っている和傘製作者の1人です。

Oさんは自分で製作した傘を持って来てくれました。

「吉田さんと違って趣味でやってるから」
と口癖のようにいつも話をされるのですが、

Oさんのつくった和傘はとでも独創的で
昔から存在する規格の傘を製作しているボクにとっては
うらやましく、あこがれるようなかっこいい和傘を製作していらっしゃいます。

そういえば、5年前くらいかな?
大学生の女性がウチに和傘の話を聞きに来て
和傘の構造を利用した照明を製作してたけど
それもかっこよかった。

んで、Oさんにもお話したのですが
ボクが和傘をつくることができるのは

「時代」のおかげです。

ボクが和傘に関わるようになったのは10年前のちょっとしたきっかけからのはじまりでした。
「何か自分の名前で仕事をしたい」
という簡単な動機です。
言葉に語弊があるかもしれませんが
どんな仕事でもよかったのです。

10年前に西日本の和傘の関係者を訪ね歩きました。

お会いした方々からは
本当にたくさんの言葉をいただきました。
今のボクを支えているたくさんのモノの一つです。

その中の言葉の中に

「生まれ変わったら、次は傘屋は絶対にしない」

という言葉がありました。

現在も進行中ですが
和傘というモノが世の中から無くなっていく方向に進んでいるということは
当時のボクにでも理解できる現状でした。

「生まれ変わったら、次は傘屋は絶対にしない」

という言葉に当時のボクは返事が出来ずに困惑していましたが
今となっては理解できる言葉になりました。
この言葉は和傘製作者にしか理解できない言葉だと思います。

ボクは生まれ変わったら次はどんな仕事をするかということはまだ考えた事はありませんが
まだ、和傘製作者として世の中から求められているので和傘を製作しています。

「今」の時代の日本全国でボクの知っている限りですが和傘製作者は
個人製作者の数は両手の指の数でおつりがくるくらいだと思います。
分業でやっている傘屋さんは右手の指の数とくらべても指の数の方が多いかもしれません。
問屋さんは聞いたことがありませんし、
和傘販売の小売店は皆無です。
ネット上には和傘販売の小売店が存在するようですが
ボクはインチキ臭い匂いがするお店が多いような気がします。

それはどうしてなのか考えてみました。

答えは「時代」です。

これはどうしようもない「時代」という大きな流れです。

「今」の時代だから
ボクのような独学で和傘を製作していても
日本を代表する和傘屋さんや日本を代表する企業から
和傘製作の依頼があり、近所の方からは
「贈答用の傘が欲しい」との言葉を聞くことができていると
最近、和傘を製作していて感じています。

「今」が和傘全盛の時代だったら?
和傘の世界が衰退している時代だったら?

きっと、ボクのつくる和傘を求められることはなかったと思います。

「過去」という時代を支えた
和傘を製作するために必要な材料屋さんや
名もなき先人の和傘製作者の方々、
それから「和傘が衰退している時代」を知っている
「現在の和傘製作者」の方々には敬服しています。
そういった和傘関係者の方々がいらっしゃるからボクが存在しています。

今の「時代」だから
ボクのような「ニセモノ」にも仕事があるんだと
最近、思うようになりました。

ボクは「ニセモノ」ですが仕事を頂いた際には
自分の全て出し切って製作していることはウソではありません。
本当です。

だから、完成した傘はボクにとって
これ以上がない最高の傘ですし
次に製作する傘はもっともっとかっこいい最高の傘です。

なんだか感情的になっちゃたけど
さぁ次のダンドリ。

仮柄とクサビをつくりました。
仮柄はたくさんの傘をつくるのに必要な道具のひとつです。

IMG_4818

A photograph is taken by iphone.

2013年7月16日 追記

和傘問屋については熊本での話です。
現在もお付き合いのある方なのですが、
熊本で和傘問屋を営まれてあった方とご縁があり、
お話をお聞きする機会がありました。
その和傘問屋さんは、
和傘を大分の和傘屋さんから仕入れていたそうですが、
年々、その傘屋さんの和傘製作の縮小がすすみ
仕入れが困難になったのをきっかけに問屋業を辞められたそうです。

岐阜では和傘製作における分業制がのこっているので
和傘問屋は和傘製作所が営まれてあるところがあります。